2009年06月23日
川俣晶の縁側歴史と文化下高井戸周辺史雑記 total 3995 count

桜上水Confidentialさんの協力による北沢川支流マップが形になってきた!

Written By: 川俣 晶連絡先

 北沢川支流の状況が私の想像を大幅に上回ることが分かったので、ある程度線を引いてみましたが十分ではありません。桜上水Confidentialさんのに線を足していただき、上流部をある程度形にしてみました。

 拡大して閲覧してみてください。


より大きな地図で 北沢川北部の支流見取り図 を表示

桜上水Confidentialさんによる補足説明 §

自動車教習所から南への水路は、どこにも記述がないのですが、この道は水路だと思っています。

教習所脇から、長徳寺脇を通って、水道道路を渡り、経堂小学校裏を通るのが江下山堀、教習所から東へ向かい南へおれて、密蔵院ー緑中ー早苗保育園と通るのが、水車堀です

水車は、緑中の西側にあったと伝わりますが、私が、そのあたりに住んだ頃には、もうなかったでしょう(当たり前かも)

今でも、水道道路沿いに、インド交易というカレー粉製造の会社があり、そちらは、水車堀の水車を使用していたのだと仲間の間では伝わりますが、実際を知る人はたぶん私たちの年代ではいないでしょう。

 ああっ。そうか、ここがそうなのか! というラインばかりです。ありがとうございます。

罠の所在 §

 中央卸売市場松原分場跡の北東側に沿った道路については、実はずっと昔に確認を取っています。その際に、古い地図で道路であることを確認して、うかつにも「水路ではない」と結論を下していました。うっかりその結論を信じたままにしていましたが、過去に下高井戸と世田谷・異質なる暗渠文化 第1回 『世田谷暗渠は生きている』より始まる「下高井戸と世田谷・異質なる暗渠文化」シリーズで明らかにした通り、それは下高井戸の暗渠常識でしかありませんでした。水路は道路に隣接して造られず、たとえ家1軒でも離して作られるのが下高井戸のスタイルです。しかし、この道路の南側は紛れもなく世田谷に属します。世田谷の水路は道路に沿って造られます。ここは下高井戸の暗渠常識で判断して良い場所ではなかったのです。

 あまりにうかつなことに、自分でも頭を抱えてしまいました。

その他 §

 荻窪圭さんが作っている世田谷-川の地図(暗渠含む)とも少し違うものになってきた感があるので、どうせならもう少し詳しく線を増やしていきたいなと思っていますが、そのような作業に興味のある協力者求む! 成果は地域と人類の共有財産になります。(ダウンロードは「Google Earth で表示」のリンクをクリックすることでKMLファイルとして可能です)

 もう少し私にも引ける線はありますが、私の手に余る部分もかなりあります。

 現在は誰でも編集できる状態に設定されています。

 上記の「より大きな地図で~」のリンクをクリックするとダウロードや編集の可能なページに移動します。

下高井戸周辺史雑記